この前、亡くなられたサブゥーがアジアタッグに。
高山が世界タッグに挑戦
またジョー樋口のレフェリー引退試合である 三沢 vs ウィリアムズ の三冠戦も
四天王プロレス全盛期。断崖技の応酬からカウント2.9の連続で、凄みは感じさせるが、武道館は満員になるものの、メディアや地方会場までは届かない。
四天王のタイトルマッチが続き、マンネリの予感が。
それを打開するために新しい風を入れる。
Twitchで配信:https://www.twitch.tv/hanna31031
<史実の試合結果> 参考:プロレス試合結果データべース https://prowrestlingdata.com/ 全日本プロレス「’97新春ジャイアントシリーズ」第14戦1997年1月20日 大阪府立体育会館 ▼三冠ヘビー級選手権試合=60分1本勝負 ⑧○三沢光晴<挑戦者>(42分6秒 エルボーバット→片エビ固め)×小橋健太<王者> ※小橋健太が3度目の防衛に失敗。三沢光晴が第17代王者となる。 小橋健太「意地とか、先輩後輩の関係とかを通り越したものをお客さんも感じることができたと思うし、自分も感じることができた。」 三沢光晴「久々に精神的にきつかった。鶴田さんと武道館でやった時以来かな。7回防衛してた時より緊張した。小橋は思ってたより強かった。また当たるまではベルトを持っていたいね。」 全日本プロレス「’97新春ジャイアントシリーズ」第16戦1997年1月23日 千葉・沼南町総合体育館 ⑤ゲーリー・オブライト ○サブゥー(11分48秒 セカンドロープの反動を利用した旋回式ボディープレス→片エビ固め)小橋健太 ×浅子覚 全日本プロレス「’97新春ジャイアントシリーズ」第18戦1997年1月25日 後楽園ホール ▼アジアタッグ選手権試合=60分1本勝負 ⑤秋山準 ○大森隆男<王者組>(12分26秒 ダイビングニードロップ→片エビ固め)サブゥー ×ロブバンダム<挑戦者組> ※第62代王者組が9度目の防衛に成功 全日本プロレス「’97新春ジャイアントシリーズ」最終戦=第19戦1997年1月26日 後楽園ホール ⑤○川田利明 渕正信(12分24秒 腕ひしぎ逆十字固め)藤原喜明 ×菊地毅 川田利明「新聞で『川田って誰だ?』て言ってて、試合では『川田出てこい!』て言ってた。何だよ、名前知ってんじゃないかよ(笑)シングルじゃないとつまんないって?シングルは考えたことない。渕さんに任せますよ。」 藤原喜明「大した蹴りじゃない。一発も当たってない。関節技?方向が違う。馬場さんは知ってたけどな。やっぱりシングルじゃないとつまんない。川田だったっけ?本当の力を出してないんじゃないか。」 全日本プロレス「’97エキサイトシリーズ」最終戦=第9戦1997年3月1日 日本武道館 ※安生洋二、垣原賢人、山本健一が観戦。 ※試合終了後、ハヤブサの次期シリーズ参戦が発表 ●高山が所属以外のレスラーとしては初めて、世界タッグ初挑戦! ▼世界タッグ選手権試合=60分1本勝負 ⑥○川田利明 田上明<王者組>(14分12秒 ストレッチプラム)ゲーリー・オブライト ×高山善廣<挑戦者組> ジャイアント馬場「(高山善廣について)この武道館の熱気ですでに興奮してたと思う。スタートの地点で緊張してれば先にスタミナがなくなるのも仕方がないこと。」 垣原賢人「今日の試合を見て、今まで意識したことがなかった全日本プロレスが眼中に入ってきた。同志が目の前で負けてしまった。今度は僕が立ち上がろうと思う。(全日本プロレスの印象は)独特の空気。何とも言えない異様な雰囲気。川田選手はやってみたい選手の一人。」 川田利明「UWFの試合のスタミナと全日本プロレスのリングの上のスタミナは違うから。途中から目に見えて動きが遅くなっちゃったね。スタミナが切れた理由として、俺がこの間行って一番よくわかるんだけど、ヨソのリングっていうのがある。ストレッチプラムはたまに使ってあげないと名前が冬木スペシャルに変わっちゃうから(笑)やる気があるんだったら何回でもいいよ。」 三沢光晴「やっぱりスタミナないね。体がついていけてない。自分の体についてこれないっていうのは節制不足。練習不足でスタミナないならその分体重落とすとか、プロならそれくらい必要。」 動画:https://www.youtube.com/watch?v=I3wMa2zlQgk ▼三冠ヘビー級選手権試合=60分1本勝負 ⑦○三沢光晴<王者>(27分52秒 タイガードライバー→エビ固め)×スティーブ・ウィリアムス<挑戦者> ※第17代王者・三沢光晴が初防衛に成功 ※ジョー樋口レフェリーがこの試合を最後に引退 三沢光晴「プレッシャーはなかった。ウィリアムスとは小橋以上の試合ができるわけないから。」 ジャイアント馬場「ウィリアムスは自分の体重と受け身のヘタさで負けたと思う。」 ジョー樋口「馬場社長の一番元気な時期にレフェリーをやらせてもらった。あの時代が一番充実してましたね。一番印象に残っている試合は社長が初めてNWA世界王座を取った試合ですね。」
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